ポール・ケアホルムは、1929年デンマーク北西部の田園地帯に生まれました。
地元の家具職人の工房に弟子入りし、やがて並行して、ヨーリン技術学校に入学したポール・ケアホルムはこの学校で14歳まで幾何学と製図を習います。
すでに実技でもすぐれた能力を発揮したケアホルムは、18歳で家具職人の資格を認められます。
1948年にデンマーク美術工芸学校で学ぶため、コペンハーゲンに移り、この学校の教師だったハンス・J・ウェグナーから高い評価を得ます。
PK25について思索する、若き日のポール・ケアホルム。
どの角度から見ても1つのオブジェとして完璧なものをデザインすることを学び、一片のスチールを曲げたフレームと帆船用のロープだけでラウンジチェアを作りました。
学生時代最後の作品であって、その後PK25として現代でも製造販売しています。
卒業後はフリッツ・ハンセン社に約1年間勤め、その間に重要なチェアのプロトタイプを数多くデザインしています。
1950年代初めのポール・ケアホルムは、シンプルで大量生産可能な家具を実現するための素材を探し求めます。
そして1952年、フリッツ・ハンセンで2枚の成型合板からなるラウンジチェアの試作品を完成させます。
しかし、同時期にデザインされたアルネ・ヤコブセンのANT™を優先して開発することが決まったため、製品化されることなく、意見の相違からケアホルムはフリッツ・ハンセン社を去ることになります。
1996年、フリッツ・ハンセンは創業125周年を記念して、PK0をシリアルナンバー入りの600脚のみ製品化しました。
スチールをシンプルに組み合わせたデスクやテーブルの試作を何度も繰り返したケアホルムは、ようやく理想のスチールを見つけます。
また、同じ年ビジネス・パートナーとなるアイヴァン・コル・クリステンセンと出会いました。
クリステンセンはケアホルムと共通のビジョンを抱き、長年にわたって家具の製造と販売を手掛けた人物です。
2人は新しいスチール家具を製品化するために手を組み、1956年に最初のコレクションを発表しました。
PK22とPK61は、このコレクション、美しさ、技術においてもケアホルムが大きく飛躍するきっかけとなりました。
1957年PK22は当時のデザイン界でも、最も権威のあるデザイン・アワードだったミラノ・トリエンナーレのグランプリを獲得しました。
アイヴァン・コル・クリステンセンは、クオリティについて妥協しないケアホルムに従って独自の生産システムを作りあげていきます。大きな工場を作るのではなく、素材ごとに専門技術を備えた職人たちのチームを組織したのです。
その為ケアホルムは、最高のスチール成型技術、最上質の張地、最も美しく仕上げられた木材や石材を用いることができました。
1980年、若くしてこの世を去ったポール・ケアホルムを悼み、クリステンセンは事業を打ち切ること決めました。
その翌年、ケアホルムの才能を最初に認めた会社であるフリッツ・ハンセン社に、家具の製造権を譲ります。
こうして1982年にフリッツ・ハンセン社は、1951年から67年の間に開発された「ケアホルム・コレクション」の製造と販売を引き継ぐこととなりました。
また、2014年にはそれ以外の製品もフリッツ・ハンセンで製造販売を開始し、さらに充実したコレクションをご紹介できるようになりました。