展覧会「GUTAI 具体ー統合編」

先日、国立国際美術館にGUTAIの展覧会の統合編をみてきました。

以前、分化編についてお伝えしましたので今回は統合編について触れてみようと思います。

国立国際美術館は中之島美術館の近くにあり、徒歩で移動できます。
大阪市立科学館も併設されてあり、大阪市立科学館ではプラネタリウムの鑑賞ができたりとお子様でも楽しむことができます。

統合編

分化編を見て、具体はただ単純に各々に多様性を求めたグループであったわけでなく、それぞれの作家たちが強い意思やコンセプトを持って集まっていることが見えてきました。統合編では個々に表現していた作家たちが「集団として共有していた理念は何か」を三章にわたって展示、検証していました。

第一章「握手の仕方」

具体のリーダーであった吉原治良は、具体は「人間の精神と物質が対立したまま握手」していると表現しています。このことはどういう状態なのかを第一章では探っています。

分化編の「物資」では、流れる絵具や工業製品などの様々な「物質」を生かしながら作者の精神を生かすことができた作品こそが具体の作品といえると紹介してきました。

画家が物質を簡単にコントロールできないように、「支配されるもの」=「物質」に従来の画材以外のもの(ガラスや土)を混入させたり、敢えて鉛筆以外のもので描くなどして「支配する側」=「作家」が不器用にならざるを得ない条件に置いたりと、さまざまな方法が試されたのです。
会場にはマッチ棒で埋め尽くされている上前智祐さんの作品や砂やコールタールを画面いっぱいに敷き詰めた吉原通雄さんの作品などが展示してありました。

マッチ棒をたくさん用いた上前智祐さんの作品は、ぱっと見るだけではマッチ棒とは分からない程に色が盛られたマッチ棒で埋め尽くされていて、解説を読んだあとにマッチ棒だったんだと分かるくらいの迫力がありました。

一方で、従来の物質の使い方は継承しつつ(=単純に絵具として使う)、その表現方法で物質の自由を補おうとした作家もいました。まさにその代表とされる、キャンバスの上にぶちまけた大量の絵具の上を縦横無尽に移動し、足で描くフット・ペインティングで知られる白髪一雄さんの作品もありました。

このように「絵具ではない物を使うこと、または絵筆を手放しうまく描けない状況にあること、まさに「対立」しながらも表現することを「対立しながら握手している」と表現したということでしょうか。

白髪一雄作品

第二章「空っぽの中身」

本当は絵画というものはどのような表現であれ基本的に何か伝えたいものがあるのが基本です。
ところが具体の場合は必ずしもそうではなく、分化編の「物質」で見たように、物質を生かすためのものとして絵画を提示しました。

吉原治良の作品には「円」を描いたものが頻出しますが、深い意味はなく(=空っぽの中身ということ)、単に描くことに専念するためのモチーフとして都合がよかっただけだと語られています。

一見何かを訴えているよう見えますが、そうではなく、何か伝えたいものがあるために絵画を描く、という絵画が持つ伝統的な役割からの解放にも挑んでいるのです。
タッチ一つもおろそかにせず、一筆一筆たしかめるようにゆっくりと慎重に描く。描くこと自体に向き合うために円というモチーフは便利で、大きなスペースであっても円一つでカタがつくからという理由で選ばれたのが円であっただけだそうです。

しかし、意味はない・からっぽというのは、言い換えれば何かの意味が固定されているものではなく、あとあと何者にもなり得るのだという肯定的な解釈として具体のメンバーは捉えていたといいます。

会場に真っ赤な大きなテントのような、蚊帳のような箱のようなものが展示されていましたが、これも「空っぽの中身」の代表です。

山崎つる子作品:赤


第三章「絵画とは限らない」

第三章では画家と呼ばれる作家たちが、絵画にこだわらないことを実験的に試みた作品を展示していました。
絵画における固定観念からの脱却を繰り返した結果、額縁を飛び出し、平面から三次元に広がった作品が出来上がりました。
ただ、それは単純に額縁を出たというものではなく、三次元の作品が絵画の延長線上に置かれていたといいます。
吉原治良さんの作品で真っ青に塗られたキャンパスの上下の端っこに魚のひれのようなものが描かれているものがありました。
一見、魚のひれがついているのかと思いましたが、解説を読むと、これは何かの漢字の一部なのだそうです。
この漢字は一体何なのか??

三次元での想像力が掻き立てられます。

その他、村上三郎さんの作品で、絵画の「額縁」のみが置いてありました。

村上三郎作品


これはあらゆる風景が絵画になり、三次元にこの瞬間の風景が作品として存在するということで、「絵画とはかぎらない」とはこういう意味なのかと感じました。

また、会場の一室には今井祝雄さん、森内敬子さんの白い色の作品ばかりがおいてありました。
具体を代表する山崎つる子さんや白髪一雄さんの作品は赤や青などビビットな色を使った作品が多いですがそんな具体のイメージにとらわれない作品を制作したといいます。

二つの展覧会をみて

今回の展覧会は2拠点開催、かつ具体の活動拠点であった中之島で開催されました。中之島美術館では具体を「分化」し、国立国際美術館で「統合」することによって具体が模索していたことを追いました。
未知の世界を目指した彼ら達を素人がそう簡単に理解することはできませんが、ただ単に多様であれという標語のもと、他にはない変わった集団であることを目指したのではなかったこと、その中にも深い意味を持ち、個別にバラバラに中身をに「分化」し、それを「統合」することによって具体全体が存在していたと今回の展覧会では閉めくくっています。

また、集団として共有していた理念というのは「絵画からの自由」であり、それを目指した結果、各々が新しい絵の形の表現、音や光や空間さえも用いて作っていくようになったと言えるのではないでしょうか。