フリッツ・ハンセンのデンマーク本社
こちらは2階にあるキャンティーン。
ドリンクはiPadのメニューから好きなものを飲み放題。
ランチは専任のシェフが用意するそうです。
太るわ~
さて、時は1950年代。
まずは ポール・ケアホルム のお話。
1951年、フリッツ・ハンセン社にスカウトされたケアホルムは、
従業員として働いた唯一のデザイナーでした。
家具職人だったというケアホルムは、
棺桶を作ることによって人間のシェイプを学んだといいます。
その後、コペンハーゲンの美術工芸学校で、ハンス・J・ウェグナー や
コーア・クリントに師事します。
ウェグナーから、卒業制作として求められた課題は
オリジナルをつくること。
そして彼は、まるで木材を扱うように自由な発想でスチールを操り、
フレームとロープのたったの2つのエレメントで構成されたチェアを
デザインしました。
PK25 はのちにフリッツ・ハンセン社で製品化され、
現在も販売されています。
卒業後、フリッツ・ハンセン社に勤めたケアホルムは
成型合板を用いた量産可能なチェアのデザインに取り掛かり、
PK0のプロトタイプを完成させます。
PK0
しかしながらこのPK0は製品化されませんでした。
なぜなら、
そこには時のスター、アルネ・ヤコブセン の存在があったのでした。
アルネ・ヤコブセンは同じ成型合板による アントチェア をデザインし、
フリッツ・ハンセン社に製作を依頼します。
アントチェア(1952)
最初のデザインは3本脚。自身の設計した製薬会社の食堂の椅子でした。
そしてさらに改良を重ね、生まれたベストセラー、
セブンチェア(1955)
量産しやすく、商品としての価値を見出したフリッツ・ハンセン社は、
ヤコブセンデザインを選択します。
同時期にデザインされたPK0は、注目されずに消えてしまったのです。
そして、ケアホルムはフリッツ・ハンセン社を去ります。
ケアホルムのその後が気になる方はこちらのブログをご覧ください。
BLOG デザインとクラフトマンシップ
今もなお支持され続けるデザイナー、ポール・ケアホルム。
ファンとしてはどうしても彼の不遇を嘆いてしまいますが、
もしこの時、フリッツ・ハンセン社がPK0を選択していたら・・・
アントチェアやセブンチェアは存在していなかったかもしれませんね。
そしてヤコブセンはSASロイヤルホテルの設計に取り掛かり、
発泡ウレタンを使用した名作、エッグチェア 、 スワンチェア が
誕生します。
エッグチェア(1958)
その後もヤコブセンの活躍によって、
現在に至るまで商品として残るデザインを発表していくのです。
フリッツ・ハンセン社は2000年、
Republic of Fritz Hansen™と名称を変えました。
より国際的な集合体、新しい『共和国』としての取り組みは、
デザイナーの起用に始まりました。
パネルの最後に書かれた、フリッツ・ハンセンDNA
新しいデザイナーとのコラボレーションは、
ブランドに革新をもたらしました。
しかしその革新は、ただデザイナーに委ねるものではなく、
このDNAを持ったスタッフが共に作り上げていくものなのだ、と
2018年の今年。
SASロイヤルホテルの為にデザインされたエッグチェア、スワンチェア、ドロップが60周年を迎えました。
NEWS 60周年アニバーサリーモデル
NEWS エッグキャンペーン2018
駆け足で巡ったフリッツ・ハンセンのLegacy。
読んでくださった皆様、ありがとうございます。
今回の研修で一番印象に残ったのは、この本社展示でした。
皆様にご紹介ができてよかったと思っています。
なんだか締めてる感じがしますけど、
私のデンマーク研修報告はまだまだ続きますよ!
どうかお付き合いくださいね。
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