・ Bernard Leach デザインのチェア
リーチバー・2ではバーナードリーチの3回目の来日となった時のことに触れて
おきます。バーナードリーチの書いた「日本絵日記」は日本の各地の窯を、柳宗悦、
濱田庄治らの案内によって訪ねまわる旅の中で記されています。
1953年2月から約一年八ヶ月の間、民藝運動の仲間達との交友をとおして
見聞したことをとても詳細な観察で執筆しています。
日本が持ち続けている固有の美意識と生活の中に自然に溶け込んでいる芸術性を
工藝のなかに見出していくなど、日本で幼少期を過ごし、日本を第2の故国と
言い切る西洋人であるが故の独自な発見が綴られています。
暮らしの中での芸術の純然たる必要性が、
なお存在し続けている」ともいっています。
彼の言葉にはウィリアム・モリス達の
アーツ・アンド・クラフトの背景が
あります。
しかし当時は英国を初め経済発展のさなかにある国としての欧米では工業的手法で
陶磁器が大量に作られ始めていました。
経済規模の小さかったデンマークや、スウェーデン、フィンランドや日本はまだ
ましであり、手仕事と機械の調和があり、とりわけ注目されていたのは近代的な
協同生産方式が良い回答を出しているデンマーク家具だとの見解が、リーチ、柳、
濱田らにあったことがわかります。
余談ですが、1953年という年はポールケアホルムがハンス・J・ウェグナーの
事務所を経てフリッツハンセン社に入社した頃のことです。
日本の民芸運動の思想がデンマーク家具を、当時「世界中で最も優秀な作品」と
位置づけていることはなんとも感慨深いことです。
この話は、1952年リーチが主催した、英国ダーティントンで開催された
国際工藝家会議に、東洋の思想を西洋にもっと知らしめる為、毎日新聞社の大使として
柳宗悦、濱田庄治、志賀直哉らを出席させた折りの感想として書かれています。
左から:柳宗悦、リーチ、濱田庄司
この年66歳になったリーチはロイヤルホテル創業者の山本為三郎氏に会います。
6月28日の日記ではこう述べています。
「山本氏と一緒に午前中を過ごし、民芸館の一角を囲む氏の家で
すばらしい昼食をとる。ここ数年来もっとも上等のロースト・ビーフ と上質のシャンパン。
大阪の大実業家である彼とふたりだけでしばらく話す。
山本氏といろいろ話したが、彼は濱田を、柳の理想主義を補う正真正銘のバランスと
実行力の持ち主と理解し、感じている。」
この後、リーチは益子の濱田の窯にしばらく逗留して濱田窯の職人達と一緒に作陶。
翌年11月帰英するまえに、濱田庄司、河井寛次郎とともに神戸で三人作品展をひらき
東京では富本憲吉を加えた陶芸4人展を開いています。
折りしも朝鮮戦争が激しくなっていく最中でありました。
リーチはこの旅のあとも92歳で没するまで度々来日しています。
(TAKEZO)
河井寛次郎展の案内 日本民芸館11月23日まで
“リーチバー・2” への2件のフィードバック
ダーティントンのリンクの件、お知らせいただきありがとうございます。お役に立てて光栄です。
こんなところでクラシックのコンサートを聴きながらパーティーができたら・・・なんて考えてしまいます。
ブログの記事を読ませていただきました。デンマークをはじめ北欧のデザイナーがデザインした椅子は、一般的に座り心地が良く、長い時間楽に座っていられるため、話をしながらゆっくりと食事を楽しむのには最高ですね。
三王ハウジング 秦
ダーティントンホールは知る人ぞ知るという歴史のあるよい建物ですね。
なかなか、検索しても満足できないところ、エコポットさんに
たどり着きました。これもWebの力ですね。
思い入れがある、すばらしい写真でした。
どうぞ、今後もKEIZO ブログをよろしくお願いします。(TAKEZO)
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