東京出張、美術館めぐり~三菱一号館美術館

大阪店:misa

先日の東京出張の際に、時間を作って以前より大変興味を魅かれていた美術館を訪れました。

三菱一号館美術館で開催されている「河鍋暁斎」。

「狂っていたのは、俺か、時代か?」というタイトルの圧倒的な迫力のポスター。

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そして、三菱一号館美術館という建築にも興味がありました。

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作品と併せて、その時代にまつわる解説を読むうちに、河鍋暁斎とこの三菱一号館美術館を設計したジョサイア・コンドルとは師弟関係にあったことがわかりました。

そして、ジョサイア・コンドルに師事した辰野金吾。

歴史考察好きな私としては同じ時代を過ごした河鍋暁斎とジョサイア・コンドル、そして辰野金吾について調べてみたくなりました。

河鍋暁斎はもとは「狂斎」という号で幕末から明治を活躍した日本画家。

狩野派の流れを受けつつ、他の影響も受け鋭く大胆な筆致や、滑稽画、書など、展示の多くの作品を巡っていても次々に興味がわくような多彩な作品の数々でした。

1875年に英国から来日した建築家 ジョサイア・コンドルは、1877年に工部大学校(現在の東京大学工学部建築学科)の教授として着任します。

このときコンドルに師事したのが、後に東京駅丸の内口の設計した辰野金吾でした。

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また、ジョサイア・コンドルは、1881年(明治14年)に河鍋暁斎に入門。

作品展の中にはコンドルが描いた作品も数点展示がありました。のちに暁斎から、英国の英の字を使った「暁英」の号を与えられます。

1889年暁斎がこの世を去る時に手を握り看取ったのが、ジョサイア・コンドルと言われています。

その後1894年コンドルがこの三菱一号館美術館の前身となる日本で初めての洋風オフィスビルとして設計したのが「三菱一号館」です。

この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。
階段の手すりの部材などは一部保存していたものを使用しているほか、建築技術なども忠実に再現していると言われています。

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19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。

そして、コンドルに師事し東京駅丸の内口を設計した辰野金吾は1913年、私たち関西人にはなじみの深い大阪市中央公会堂の設計もしています。

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三菱一号館美術館で暁斎を見て、コンドル建築を体感し、大急ぎで東京駅丸の内口に吸いこまれるように飛び込み、新幹線で大阪に。

まさにこの歴史考察通りの順路で廻った、貴重な日でした。

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