前回の続きです。
ハンス・J・ウェグナー Hans J.Wegner(1914-2007)
1914年、ドイツに生まれる。家具職人H・Fスタルベアーグの元で家具を学び、ウェグナーは17歳という若さで「木工マイスター」試験に合格します。3年後コペンハーゲンに移り、1936年から3年間工芸スクールに在籍。そこではコーア・クリントの教え子、オルガ・モルゴーニ・ニールセンが教鞭についていました。クラスメイトにはボーエ・モーエンセンがいます。彼の生涯の親友となる人物です。
そこでウェグナーはリ・デザインや数学的アプローチを学び、デザイナーとしての才能を開花させ活躍していきます。
1940年、ウェグナーはアルネ・ヤコブセンとエリック・ムラーが担当するオーフース市庁舎の建築プロジェクトに参加し、そこに収める家具をデザインします。そこでカンファレンス用の椅子・事務机・本棚やキャビネットなどのデザインを手掛けました。ウェグナーより一回り年上で、当時すでにベルビュービーチ総合リゾート計画で高い名声を得ていたヤコブセンの下で一大プロジェクトに加われたという経験は、若いウェグナーには実務経験を積む絶好の機会だったことでしょう。その後、中国の椅子をリ・デザイン(チャイナチェア)したり、機械による量産可能な椅子をデザインする(CH24やザ・チェア)など、目まぐるしい活躍を遂げたウェグナー。
彼はその後、旅行中に訪れたアメリカの近代的な量産家具メーカーからデザインの協力依頼を受けますが、それを断ります。
機械による効率的な生産の可能性は認めてはいたものの、現場の職人と納得するまで協議しながら作り上げていくというスタンスを守り抜くため、自分の目の届かない海外での製造は避けたのでしょう。
PPモブラー社に製造ライセンスを付与
ウェグナーは、1953年に設立の家具工房、PPモブラー社へ1970年代からデザインした一連の家具の製造ライセンスを付与しました。なぜなら、PPモブラー社はクラフトマンシップを重視しながらも、機械を使った加工技術を適度に導入しており、ウェグナーの価値観とぴったりと一致していたからです。特にオーナーであったアイナ・ピーターセンとはウェグナーのよき理解者となりました。ウェグナーが現役を引退するまでの間、彼の製作活動の場としていつでも彼を暖かく迎え入れました。
※PPモブラー社・・・ウェグナーと二人三脚で数々の名作を生み出した工房。伝説の職人「アイネ・ピダーセン」から息子、孫へとバトンを引き継いでいます。もとは椅子のパーツを作る下請け工房。
1955年には故郷でもあるトナーという地にウェグナー博物館が設立されています。古い給水塔を修繕し、ウェグナー自身が作品を提供しました。
この博物館はウェグナーの展示だけでなく、デンマーク・トナーの街の歴史文化を展示した博物館でもあります。
彼は2007年に94歳でこの世を去るまでに、500脚以上もの椅子を生み出し、「椅子の神様」の異名を持ちます。
500脚以上もある彼の作品の中から、代表作の一部をご紹介します。きっとご存知の作品があるのではないでしょうか。
①チャイナチェア(1943年)
ウェグナーを語る上で外せないチャイナチェア。木のぬくもりとオリエンタルな雰囲気が漂うフォルムが印象的です。彼の名作「Yチェア」の原点ともいえる作品です。
自身のデザインの方向性について模索していた若かりし30代の頃、ウェグナーは中国の明代の椅子を参考にして、2種類のチャイナチェアを発表しています。
一つは美術工芸学校時代に工芸博物館でみた、ヨークタイプ(ヨークとは、二頭の牛の頭をつなぐ木製の道具のこと)の椅子をリデザインしたもの。ヨハネス・ハンセン工房家から発売されました。
そしてもう一つは図書館で出会った、オーレ・ヴァンシャーが著した「MOBEL TYPER」でみた明王朝の官僚が使用していた椅子「圏椅(クワン・イ)」でした。
木材の使い方も合理的で実用性に優れ、それでいて官僚が使うにふさわしい厳かな雰囲気に溢れていました。
現在もフリッツ・ハンセン社からFH4283として製造されています。
また、FH4283の生産性を高めたチャイニーズチェアを1945年にフリッツハンセン社から発売しましたが(FH1783)、数年のわずかな期間のみ生産された後、廃番になりました。その後、PPモブラー社からPP66として再版されています。この生産性を高めたチャイニーズはアーム部分にビーチ材を用いたり、座面をペーパーコードで編むなど、最初のFH4283よりもより効率的に作れるようになっています。これが後のYチェアやザ・チェアの誕生のきっかけになっています。
②ザ・チェア(1949)
正式名はPP503。単純に和訳すると「椅子」。「椅子の中の椅子」という意味でザ・チェアと呼ばれています。
椅子の究極形というのでしょうか。
突き詰めていった結果、余計なものは削ぎ落とされシンプルな形になっていったように感じます。
ただ単純にシンプルになればそれでいいとなるとそれはまた意味が違ってしまい、椅子である以上は何よりも座り心地が重視されます。ザ・チェアはすべてにおいてバランスがとれている、まさに椅子の中の椅子と言えるのではないでしょうか。
素朴でシンプルが故、一見すると何気ないように見えるため、発売当初は「みにくいアヒルの子」と揶揄されることもありましたが、1960年のアメリカ大統領選のテレビ討論会でJ・F・ケネディが座ったことでその名を知らしめることとなりました。
腰痛を持っていた彼が、楽に座れてそれでいて自分が堂々と美しく映る椅子を探した結果、この椅子にたどり着いたのです。
発売当初はヨハネス・ハンセン工房で製作されていましたが、工房の閉鎖に伴い、PPモブラー社が引き継いで製造しています。
③ベアチェア(1950年)
正式名PP19。デンマークの方でも、いつかはベアオーナーに。。と言わしめるベアチェア。大きさがあるため、座面の上であぐらをかいたり横向きに座ってみたりといろいろな座り方を楽しめるのも魅力の一つです。
パパベアとも呼ばれていて、それはまるで身体をすっぽりと覆っている背もたれが、「クマに後ろから抱きしめられているような」座り心地からそう呼ばれています。
フレームはネジやボトルなども使わず、木をくみ上げることで作られています。それによってゆるみによるガタツキ感が出ることなく長年使うことができるのです。
フレームにはビーチ材とパイン材を使用。構造となる部分はビーチ材で、ファブリックやレザーを貼りつける部分にはパイン材を用いています。また、身体をしっかりと支えてくれるクッションには多くの天然の素材が詰まっています。
馬毛・ヤシの葉のや麻の繊維・ミックスされた動物の毛・綿など弾力や性質が異なる素材を組み合わせることで心地よい調湿作用とウレタンだけでは出せない弾力が生まれます。
体圧のかかる部分には、必要に応じてコイルスプリングも使われています。ここまでこだわっているのですから、掛け心地は言うまでもありません。
ウェグナーが晩年、自ら入居する老人ホームに連れて行った椅子の一つです。こちらもPPモブラー社で製造されています。
長くなってしまったのでウェグナー作品のご紹介の続きは次回に続きます。
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