ベルビュー地区にあるスーホルムⅠは、
5棟からなるレンガ造りの集合住宅です。
アルネ・ヤコブセン は1971年に亡くなるまでの20年間、
2人目の奥様ヤナとともにここで過ごしました。
ベルビュー地区は1930年代、ヤコブセン29歳にしてコンペで勝ち取った
初めての大型プロジェクト。
初期の代表作、ベラビスタ。
ベルビュー地区について詳しくは改めてブログでご報告しますね。
このスーホルムⅠはそれから20年後の1951年のデザイン。
ここで暮らした1950年代は、 アリンコチェア や セブンチェア などの
代表作が次々生まれ、ヤコブセンのスタイルが確立された時代です。
今回は幸運にも入居前という事で中を見せていただきました。
貴重です。
エントランス。ここをヤコブセンが毎日通っていたのですね。
ダイニングを抜け、上階のリビングへという導線は
当時のデンマークの住宅によく用いられていました。
ダイニングの天井は吹き抜けになっていて、階段からリビングへ
空間を繋いでいます。
リビングはテラスのある南側から北に向かって天井が高くなっています。
北側の高い位置に窓を設けるなど、必要な採光が計算されています。
窓からは自慢の庭と海が見えます。
壁には暖炉、その隣は水場。なんとも合理的です。
東側のスライドドアを開けるとヤコブセンのスタジオが。
オレゴンパインのビルトインキャビネットはヤコブセン邸だけの
スペシャルなデザイン。
生まれ変わるなら庭師になりたかったというヤコブセン。
植物を愛した彼はこの庭で300種類もの植物を育てていたといいます。
テキスタイルデザイナーの奥様も植物たちからアイデアを得ていたとか。
外壁のレンガやバルコニーの木材は経年変化によって色味を変え、
ビーチの砂の色や樹木に融合していくことまで考えていたそうです。
たしかに・・・
地下にあるヤコブセンのドローイングオフィス。
SASロイヤルホテルやナショナルバンクのアイデアは
ここで生まれたのですね。
完璧主義者であるヤコブセンはスタッフにも厳しかったと聞きます。
スタッフひとりひとりの仕事の内容を把握するために、
彼らに消しゴムを持たせなかったそうです。
当然、必要になるとヤコブセンのもとへ借りに行くことになります。
きっとそこで、『進捗はどうだね?』なんて
コミュニケーションをとっていたのでしょう。
彼のもとで働くスタッフは長く務めたといいますから、
厳しさの中にも魅力がたくさんあったのですね。
若かりしヤコブセンの生み出した『白亜の箱』、ベラビスタ。
第二次世界大戦後のデザインであるスーホルムの
大きく違うその外観。
デンマーク島の黄色いレンガは戦後の物資不足によるものとも
言われています。
ドイツ軍の占領下、ユダヤ人のヤコブセンはスウェーデンへ亡命し、
その間建築に携わっていませんでした。
困難な時代を経てのち、
伝統的なクラフトマンシップに回帰することを、
そこから生まれる新しい原点を、
在来工法を用いた終の棲家に見いだしたのではないでしょうか。
アルネ・ヤコブセン邸は、60年以上もの時を超えて
彼の思い描いた通り、
景観と共に静かに存在していました。
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