「EAST TOKYO」 上書きされる街


takezoです


EAST TOKYO 050.jpg 厩橋からのぞむ隅田

先日、若い友人が両国に事務所開きをし、ご招待を受けたので訪問した。このあたり浅草界隈は歴史的に見れば江戸文化の中心であったのだが、今ではその面影は街のどこからも窺い知ることはできない。粋で洒落た町民たちの行き交う情緒あふれていた街はどのように消滅してしまったのか。



丸の内夜景1.jpg 丸の内夜景

marunouti 4.jpg 皇居前から見る丸の内

近代都市・東京は丸の内から西側の都市部の発展が牽引してきた。西側は行政や巨大なデベロッパーによって巨大な投資が続けられ、世界でも稀な近代都市化が進められて今日の姿となった。主要なスポットは地上げによって更地から全く別世界を作り替える作業が続けられてきた。しかしそれも今となっては飽和状態を迎え、政・経の凋落ともいえる現在、行政も大企業も再開発を進める力もビジョンも見失っているように思える。跋扈していた市場原理がうまく働かなくなっているのだろう。過去西側の発展とは裏腹に東エリアは渾然とした変化を続けながらも取り残されてきた感は否めない。戦後から脈絡なく建てられた中小型の雑居ビル群が街を閉塞状態に陥らせているようだ。粋な町名のみが良き時代を思い出させるのみだ。


EAST TOKYO 047.jpg 上野駅


EAST TOKYO 028.jpg アメ横

EAST TOKYO 035.jpg ガード下を埋め尽くす商店 

東エリアはお上から手つかずにされてきた分、これから逆に下から上に向かうベクトルが強まっていくのだろうか、おもしろい現象が起き始めている様に感じる。
西側の家賃の高さから若いクリエーターたちはBASE(基地)を東エリアに移動し始めている。少子化から廃校になった公立の校舎がテナントやクリエーターたちをを誘致したり、倉庫が開放されリノベートされアトリエになったりしている。
EAST TOKYO 008.jpg 2K540 AKIOKA ARTIZAN入り口


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そして秋葉原と言う街が異端児のような形で急成長してきたこと、ハイブリットな文化圏を行政的にではなく、独自で価値創造してきたことがおそらくエンジンになって若いクリエーター達が東に向けて西側から移動し始めているという。
2K540AKIOKAアルチザンという新しいクリエーターのコミュニティをご存じだろうか。秋葉原と御徒町の山手線の高架下にできたクリエーター達の集落なのである。上野から御徒町に続く高架下は今もって求心力あるアメ横であるが、この延長線上に「AKIOKAアルチザン」はある。JR東日本都市開発事業の一つではあるがかなり斬新な企画だと思う。ちなみに2K540とは東京駅からの距離2キロ540メートルを意味している。
アメ横の雑多さに比べなんとも洒落たエリアになった。「HIROKOLEDGE」というブランドはここを基地として早くもヨーロッパで注目されている。彼らは敢えてSHOPと呼ばずにBASEといっており、グローバルな志が見えてくる。


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そして更に可能性を秘めていると思われるのが、隅田川というもっとも人に親しまれる川を要していることだ。江戸時代は交通の要諦でもあっただろうし、何よりも水との関わりを大切にしてきたのが江戸人の特質なのだ。このあたりが活性化しないはずがないと思う。蔵前、隅田川にかかる厩橋から御徒町までを結ぶ春日通り界隈にもアーティストやクリエーターが棲み始めて江戸伝統技術の職人達との協働が始まっているという。「EAST TOKYO」とはこのあたりがスポットから広いエリアに発展して行く事を指している。廃屋が工房やCAFEやギャラリーなどにリニューアルされ始めている。この様にして街は少しづつ上書きされていくのだろう。NEW YORKのブルックリンやLONDONのEASTENDのような密度の高いクリエーター・コミュニティの出現が待ち遠しい。



EAST TOKYO 057.jpg 蔵前 厩橋


mainimage-010.jpg MIRROR(CAFE/ギャラリー)


(TAKEZO)


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