TAKEZOです。
墨東向島を通り隅田川に沿って本所吾妻橋に出て吾妻橋をわたり浅草駅にでる。工事も佳境に入っている東京スカイツリーを押上の間近まで観に行った帰り道だ。吾妻橋越に眺める景観は異様な感興を呼び起こす。スカイツリーの前景にはアサヒビールの黄金のオブジェが中空になびき、それらの前を高速道路が横切っている。浅草という江戸から続く場所にあって時代が重層して、いっときに目の前に現れる奇異な景観だ。
そこには、すでに明治時代から破壊しつくされた江戸の名残さえ想像することはできない。荷風は大正3年に著した「日和下駄」の中で執拗に、近代化の思想のもとに開発をすすめる東京を嘆いている。近代を嫌い晩年は黙して語らず、背を向けて過去の陋巷に姿をくらました。今はその裏路地すらもうかがい知れない。地名ばかりが美しい響きで何かを物語っている。荷風は東京をよく歩いた人だ。地図は江戸切図を持ち歩いた。精密な新しい地図を嫌い”不正確なる地図”の当意即妙の自由を好んだようだ。たしかに江戸絵図は美しい。
大正10年に開業された神谷ビルは吾妻橋交差点にぽっかりと立っている。闇夜にライトアップされれば昼は猥雑なビル群も意識から消え去る。神谷バーで650円の電気ブランを買い、賑わう店内でワンショット飲んで帰る。このバーには昔から庶民に混ざって文人や時の名士たちが集まったそうだ。尤も荷風が立ち寄ったとは書かれていない。「銀座の角のライオンを以て直ちに巴里のカッフェーに擬し・・・無闇矢鱈に東京中を西洋風に空想するのも・・」などと西洋式擬似文明を無味拙劣と嫌っていたから神谷ビルも同じ類としていたかも知れない。青春をフランスに遊学して本物の都に夢中になった荷風ならではのやりきれない都市観なのだろうか。
現代の東京はさらに混迷が続いている。
荷風、酒の心得。「詩を作るものは酒をこのまざるも可なり。良詩は酔中に非ざるもまたなすことを得べし。しかれども酒を嗜むものは詩を好まずんばあるべからず。詩を知れば酒益々味あり・・・」
「電気ブランは明治の頃から浅草の代名詞とされてきた酒です。ブランデーやワイン、ジン、ベルモット、キュラソーなどのカクテルでその処方は未だ以て秘伝となっています。いわば「夢のカクテール」と申しましょうか。明治の頃は、まだ電気はめずらしく目新しいものというと”電気◯◯”などと呼ばれ、デンキブランはハイカラなものとして人々の関心を集めたものです。」
・今回は竹氏正さんのスケッチを掲載させていただいた。東京の下町を好んで歩きスケッチブックにおさめている。やはり未だに東京は古い家並みがどんどん変わっていくのをいたたまれない思いで体感されているようです。
(takezo)