TAKEZOです。
「KEIZO」で1:6スケールのフリッツハンセンを販売することになりました。セブン、アント、スワン、エッグなどヤコブセンの代表的なデザインが精巧に作られている。今からたのしみで素敵なことである。実はこのミニチュアの世界は奥行きがとても深く詩的イメージが広がる。幼児体験につながる「記憶の遠近法」のようなものがある。
精度が高くミニチュアの規模に縮小されるとシンボル価値が高まる。
ミニチュア(Miniature)はなぜ、かくもひとの心を魅了するのだろうか。ミニカー、鉄道模型、ドールハウス、フィギュアなど玩具的なるものを通して、現実世界にほぼ同期するようにミニチュアの宇宙が存在している。小さなものの中に広大な世界があると想像することが古今東西で多くのお伽話を生み出してきた。
バシュラールの「空間の詩学」を読む。科学哲学の合理性を超えて詩的想像力の問題について考察している本である。想像力によって生み出される物。縮尺による思考。「幾何学的相似というなかで、互いに異なった寸法で描かれた二つの相似形の中に正確に同一物を見る事ができる。」Miniatureを生み出す想像力はすでに我々が子供の頃から備わっていて、玩具の世界がそのまま現実であったことを思い出させる。玩具に対しては子供は「造物主」となり支配し、破壊することも許される。ミニアチュールについての章があり想像力の無限性について考察している。
これについては澁澤龍彦が次のように引用している。「巧みに世界を縮小することが可能であればあるほど、私たちは一層確実に世界を所有する。しかもそれと同時に、ミニアチュールにおいては価値は凝縮し、豊かになることを理解しなければならない。(中略)小さなものの中に大きなものがあることを体験するためには、論理を超越しなければならない。」とガストン・バシュラールは「空間の詩学」の中で述べているけれども、私たちはそれぞれ、想像力の働きによって、いとも簡単に論理を超越し、ミニアチュールの世界に飛び込むのである。・・・「胡桃の中の世界」
また、「空間の詩学」の中でこんな話が載っていた。ヘルマン・ヘッセの小話である。
しばしMiniatureの世界へ旅立ってはいかがでしょう。
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ある囚人が、牢獄の壁に、小さな汽車がトンネルに入ってゆく風景を描いた。看守たちが彼を呼びに来ると、彼は看守に「絵の小さな汽車にのり、二三確かめたいから、ちょっとまっていただけまいか、と丁重に頼む。例によってかれらは、わたしを馬鹿だと考えて、笑いだした。わたしは体をすっかり小さくした。わたしは絵の中にはいり、小さな汽車にのると、汽車はうごきだし、小さなトンネルの闇の中に消えさった。ほんのしばらくのあいだはまだまるい穴からたちのぼるかすかな綿のような煙がみえた。するとやがてこの煙もきえ。この煙とともに絵が、そして絵とともにわたしの存在がきえさった。」
・必要があれば、不条理が自由のみなもととなるのである。〜バシュラール